日本の文化が失われつつある事を、
何も感じないのか、それとも知らない事が多くなってしまったのか、必要性が無くなったからなのか・・・。
昭和生まれの私には、古き良き文化が消えていく悲しさ、虚しさの方が大きい。
やはり、それを一番感じるのは、年末年始かも知れない。
大掃除は、家族皆んなでやるのは当たり前の光景でしたけどね。
襖や障子の張替え、私たち子供の時代は、普通にやらされてました。
隣近所の障子までね。
今や、襖や障子の部屋が少なくなってしまいましたし、床の間や掛け軸なんてのも無くなってしまった。
和室そのものが、居間としての地位を失ってしまった。
おせち作りの意味も、昔は三が日には、商店が軒並み休みになるし、今のようにコンビニやスーパーなども無く、ましてや営業時間も商品の取り揃えも、全く違いましたからね。
店がやってないのだから、作り置きしておくしか無かった訳です。
お正月と言えば、門松に鏡餅、国旗も飾ってましたね。
車にも玄関にも、しめ飾りやしめ縄。
飾る日も29日は二重苦だし、31日は一夜飾りと言って、縁起を担いで、末広がりの28日に飾ったりしてました。
除夜の鐘なんて、今は聞きませんね!
私達はお寺に突きに行きましたよ。
煩悩の数だけたたくなんてのも、知らない世代が多くなったのではないでしょうか。
お年玉も、元日に威厳のある父親の前に正座し、年始の挨拶無くして、貰えるものでは無かった。
お屠蘇も、小さい頃からアルコール入ってるのに、普通に飲まされたし、梅酒なんかも、普通に飲んでたよな!
着物も着なくなったし、浴衣も子供は普通に着てたよ。
正月ののし餅や灯油などは、米屋が配達してたしね。
餅を切るのも、年末の行事の一つだったし、カビがすぐに生えないように、タッパーウェアに入れるとか、当時ならではの工夫もあったんです。
その後、水入れて水餅にして保存とかね。
今は米屋も酒屋も本屋も八百屋も魚屋も惣菜屋も、そもそも商店街が無くなっちまって、そういうコミュニティが無くなってしまった。
確かに私も年賀状とか書かなくなって、15年位になりますが・・。
寝巻きに腹巻き、湯たんぽや蚊取り線香の匂い。
縁側で月見や花火。
手押し井戸からの水汲み。
ランニングシャツに虫かご、虫取り網。
空き地に野良犬。
落葉焚きに焼き芋、頑固ジジイと柿の木。
そば屋の出前持ちの、もりそばの段数。
新聞配達の少年。
銭湯で飲む牛乳や瓶ドリンク。
給食で出る固くなった食パンや、瓶牛乳やテトラパック牛乳、そして滅多に出ない、瓶ヨーグルト。
見る事すら無くなった、スキムミルク。
そして、アルマイトの食器。
黒電話時代の、彼女呼び出しの為の親との会話、そしてそれが父親だった時の緊張!
親と先ず仲良くなれるのか、信頼されるのかが鍵だった時代だ。
それが今じゃ、西洋文化が当たり前のように入ってきて、ハロウィン仮装の方が、七五三の千歳飴よりも楽しいみたい。
写真だって、現像から上がってくるまで、出来栄えすら分からないし。
電話も一人一台、親と喋る事もなく、合コンやナンパせずに、出会いはマッチングアプリときたもんだ!
私は、TikTokやTwitter、Instagramよりも、習字を習って、文字は打つよりも、綺麗に書く文化を大切にして欲しいと願います。
本ももっと読めと言いたい!
「温故知新」、古きを訪ね新しきを知る。
日本人としての素晴らしい文化を取り戻して欲しいものです。