そう言えば、営業職を諦めた具体的な理由

について、娘たちには話してなかったな。

もちろん、世の中が、求める営業とは、自分の客先を持っていて、ある分野にもスペシャリストである事が、必要とする人材たったのだと思う。

逆に営業の立場から言うと、商材さえ強いモノさえあれば、絶対に売れると思っていたけどね。

自分が単身赴任の関西で、知らない土地で、東京でやってきた商材とか販路が使えず、四国や中国地方での新規開拓営業は、正直難しく、とても疲れた。

そこで自宅に戻ろうと、決めた転職先が、地方の商社、商社と言っても、何の強い商材も無しで、同様に東京でも新規開拓が期待されていたのです。

商社とは名ばかりで、何でもあるは、何も無いのと一緒なんです。

しかも、私の東京時代の顧客は、いわゆる大手の一流企業、何の強みも持ち合わせて無い、地方の商社の商品を取り入れてもらえるほど、価格面でも、商品力においても、相手はメーカー直で取引している訳で、ワンクッション入ってるのだから、勝てる筈もない。

それでもねじ込んでくれると思ってたのでしょうね。

無理ですよ!

さすがの私でも、そもそもメーカー営業として、大手企業(名前は上げられないが、通信とか建設では全て一部上場企業)相手に、騙し営業は出来ない。

顔だけで買ってもらえるほど甘くない。

だから、もう無理だと感じたのでした。

デフレ真っ只中でしたしね・・・。

安売り営業、薄利多売?

クソですよ、そんなもん。


子どもたちも、恐らく不思議に思ったと思います。

あんなに朝から夜中まで、身を粉にして頑張っていた父親が、失業して家に居るわけですから。

差しで呑みに行くことも無かったし、急に貧乏になるのは、辛かっただろうな。

下の娘が、ちょうど大学受験の時に、年収としても半分以下になる職に就いたのですから、きっと理解出来なかったと思います。

借金で、入学金の一部は払いましたが、本来、お金の心配などさせたくなかったよ・・・。

いつか、分かってくれる時がくるかもと思っています。

でも、本当にゴメンナサイ。。。