西国の覇者にして百済王の末裔?


美和家の家紋は正にこの大内菱なのです。

多々良を継ぐ者として、この系統の美和家は私の代で終わりとなります。

娘二人は嫁いで別姓となり、自分のルーツがどこにあったのか?

家紋はどういうものなのか知っておいて欲しいです。

そのルーツを辿ると最も著名な「大内義隆」という人物が登場します。

私の婚姻前の本籍も山口県佐波郡徳地町で、美和町も近くにありました。

一度祖先の墓参りに行った際に、住職に聞きましたが、昔は美和家も繁栄していたそうです。



大内氏は鎌倉時代には周防一国を掌握し、徐々に支配領域を拡大。南北朝時代の当主「大内義弘」の代では近畿地方を含む六か国を領有するまでに至ります。

現在の山口県を中心とした本州西端部と、北九州にまで及ぶ広範な支配領域を誇った名族でしたが、戦国の「下剋上」によって滅亡したことがよく知られています。

「大内義隆」は十六代の当主で、次代の「大内義長」を事実上最後の当主とするため、大内氏の全盛期から衰亡までを見届けた人物でした。

大内氏は本姓を「多々良」といい、周防国(現在の山口県南東部あたり)の在庁官人として「権介(ごんのすけ)」を世襲してきた一族です。

多々良をさらに遡ると、第26代の百済王だったのです。