心もマルガリータ

坊主頭にして反省していると、不思議なことに、過去の過ちから、楽しかった思い出などが、次から次へと浮かんできます。

私の場合の、営業マンとしての最初のキッカケとは・・・。

元々、誰しもが経験したはずのない、色んな職種。

何かの体験が、向き不向き、或いは自信とかやりがいを感じるのだと思う。

例えば何故親父は、経理という仕事を選んだのか知らない。

私の場合、簿記は必要にかられ、自然と覚えた。

親父は、これを仕事として選んだ訳だ!

私は営業職、そのきっかけというのが、Macにカルチャーショックを受けた後の25歳の時に、当時の同僚(とは言え、ひと回り程年上の先輩)に誘われ、新会社設立に自ら出資し、取締役のメンバーになった。

経営も数字も全て自分でやりながら、会計士と相談しながら運営していく一員を担った訳だ。

しかし、スタートは自分しか居なかった。

他の出資者には仕事がある。

軌道に乗せない限り、その仕事から抜けられないのだ。

私は潔く辞めていて、やるしかなかった。

そこで売る商品だが、当時、デザインコンペで使用されていたのが、クロマティックという材料の制作だ。

まだ、今のようにパソコンを使ってデザインする時代ではなく、インスタント・レタリングという、自由な発色で作品に簡単にプリントして、本物そっくりにデザインし、コンペするための材料が必要な時代だった。

後にそれは、全てAppleコンピューターの独壇場となった。

例えば、缶コーヒーのデザインをするのに、無地の缶を用意し、そのカラー・レタリング(クロマティック)を貼って、デザインしていくのだ。

まだまだアナログな時代だった!

その材料を製作して販売する会社を作ったのだ。

自分しか居ないし、だから、デザイン会社や広告会社に、飛び込み営業をかけ、製作依頼を受ける仕事を取りに行った。

顧客ゼロから、先ずは月に売上300万円程の仕事の依頼を受けるようになり、従業員も増やし、順風満帆に事業はうまく回り始めた。

粗利70%という、経営には最高の船出だった。

それが、大きな自信となって、のちの営業職に生かされたと思ってる!

ゼロから増やすという大変さや、面白さを知ってしまったのだ。

これが25歳という節目に、社会人として目覚めた第一歩だった気がする。

その3年後に結婚し、翌年に長女が誕生して、大人としての責任を背負う事になったのだ。