娘たちへ伝えておきたいこと其の弐
2021年07月22日 13:02
私が死んだ時のために、このブログの存在を知らせなきゃな。
前述した「出前館」の仕事に移る前で、法人向け二輪販売の会社に就いた際の事です。
面接の時から、アウディに乗って行った事も印象を悪くした要因かも知れないが、社長よりも良いクルマで通勤しないでくれとの理由で、HONDAの軽ワゴン車を与えられ、それで通勤する事となる。
娘からシルバー号と呼ばれていた、あのクルマだ。
この転職がきっかけで、練馬区から埼玉県に転居してきた。
長女はまだ小学生低学年。
自分も子供の頃幾度となく転居した事で、転校という新しい友達を作らなければならない経験をさせてしまった。
その後次女が産まれ、次女は転校する事なく埼玉県民となった。
当時、特にホンダの資本が入ってる訳ではないのに、クルマ通勤はホンダ車でないとならない変な理由があった。
私はそこの子会社で、FRPを製造販売する会社にすぐ転籍し、赤字からの大転換を期待され結果を残した。
最初、この会社のアイテムとしては、キャノピーやジャイロXに載せるデリバリーボックス3種しかなかった。
それもほぼほぼコピー品。
私は自分で企画し、ベトナムの工場に乗り込み、ジャパンクオリティを徹底させ、リストラも敢行!
当初ハノイの工場には、大して売れてもいないのに200人位作業員がいた。
半数に減らし、アイテムを増やしつつ、日本では一人営業開拓の日々。
某有名ピザチェーンのオリジナルの荷箱から、バイク便、行政が使用する自転車やバイクの荷箱、警察官が乗る交番の自転車やバイクの荷箱等々、徹底的に売り込み採用される。
私の場合は、ホンダに義理がある訳では無い為、独自の戦略で、3大バイクメーカーの特需と仲良くさせていただき、全国でそういうビジネスバイクが売れる度に、自動的に商品が売れる仕組みづくりをした。
また、全国のバイク屋さんに働きかけ、地方での卸販売の仕組みも作った。
イラスト入りの取説や荷台への取付説明図なども自分で作った。
幾度にも及ぶ、ベトナムはハノイの工場との往復で、ガンガン仕事を持ってくる私に、現地スタッフとの信頼も強固になり、辞める時には頼むから辞めないでくれとか、他に工場作るなら私たちも付いていくと言われた。
しかし、私にそのような欲など無いし、社長との確執にも嫌気がさしていた。
そこに「出前館」の話が出てきて、そちらに行く事になった訳だ。
FRPの製造販売は、企画からデザイン、取説から営業開拓、仕入や物流に至る全てをやっていたので、私の跡を継いだ社長の息子は苦労はしただろうけど、売り先も商品アイテムも私が作っていた事でその点では楽できたんじゃないかな。
息子に継がせるのに私は路線だけ引かされた訳だ。
つまりはここでも「出る杭は引っこ抜かれた」訳だ。
やはり、ここでも客を持って逃げるかの噂話も小耳に挟んだ!
そんな狡いマネなどするか!
それよりも人を利用せず、実力で売上を伸ばして欲しいものだ。
自分でもこのような「ものづくり」は向いていると思ったが、よくよく考えてみれば、人の金だから、思い切った事ができたようにも思う。
つまり、仕事を辞めたり始めたりするのに、様々な理由があるというコトを理解して欲しかった。
その為に、家族には心配も迷惑もかけてしまった・・・、ホント、ゴメンな。