娘たちの為に、記憶もないだろうからここに記します。


最初は小説を書いていた頃、自伝でも書くかと考えたものです。
しかしながら、何かを成し遂げた事で、家族を幸せにした訳でもなく、ほぼほぼ5年サイクルで仕事を変えていた父親は、何の仕事をしてきたのだろうと思っていると思います。
自分なりにはレガシーを残してきたのですが、それなら何故その仕事を続けなかったんだと疑問に思うはずです。
それは、以前のこのブログでも記したように、「出る杭は引っこ抜かれる」とか、自分自身の癖の強さ故の転職が繰り返されたからです。
「出前館」や「携帯電話の基地局向け設備機器関連の物販」以外に、それ以前の仕事として、ビルやマンションのガラス工事の営業でも、当時のベテラン営業マンを驚かせたものです。
前にも書きましたが、私の場合、商材が何であれ必ず受注に繋げる、そしてトップセールスを掴み取る自信があったんです。
それこそが癖の強さかも知れません。
その会社に転職した時は、もちろんガラスの「が」の字も知らない未経験者でした。
そこには、既にその道30年というベテラン営業マンが4人、経験1年目の若手営業マンが1人、私と同期入社の若手が1人、私も当時まだ40台前半でした。
経験1年目の若手も、それまで一度も受注がなく、ベテラン営業マンに言わせると、この世界では10年の月日が必要で、一人前になるまでは板前修業のように追い回しから始まり、板場を任されるまでに、先輩の技術を盗み、自分のものにしなければなりません。
同期は無理だとすぐに辞めていきました。
私も無理だよと、4人には言われていました。
そこで負けず嫌いで自信過剰の私は、3ヶ月間ベテランに教えを請い、その後自ら飛び込み営業を開始しました。
最初の頃は、ベテランもバカにしたような状態でしたが、ドンドン受注を決めてくるこの新人に、最後は皆さんに認められる存在へと上り詰めました。
1年目で1億、某有名ゼネコンから受注してきたのです。
しかし、その後社長がトンズラし、見事に2度の不渡りで倒産しました。
最後の最後まで、私はお客様に真摯に対応させていただきましたが、そうなると、この業界には居られないのは世の常。
娘達に言いたい!
パパが転職繰り返したのには、こういう理由も有ったんだよと。。。