ディスコ全盛時代

やはり高校生活の中で、先輩たちとの飲み会以外にも、一大ディスコブームでしたから、まだ、カセットデッキが主流で、アメリカの番組「SOUL TRAIN」を聞きながら、同時に録音。

ヒットチャートを調べて、最新の曲は、学校の廊下とかで、自分たちが考えた振り付けで踊りだす。

当時は、様々なステップを皆んなで踊るというスタイルが主流でしたので、曲調を考え、これはチャチャだとか、バンプ、チキン、バス・ストップ、ボックス、ソウル・シーシー、浜チャチャ、ニュー・ソウル・シーシーとか、決まってるステップもあれば、新しいのでそれらを、組み合わせてアレンジしたニュー・ダンスを練習するんです。

そして、密かにお揃いの服を着て、前面の大鏡前というのが、上手いヤツのベストポジションが普通でしたので、鏡の前まで行って、新曲がかかると揃って練習したダンスを踊るのです。

そうすると、この曲はこういう踊りなんだと、そこに居る客は、皆真似して踊りだします。

定着させれば、振り付け師は我々という事になるのです。

その為に多くのディスコに通いました。

モチロン、当時はまだ、大学生や社会人が中心で、我々が行ってた赤坂や六本木では、米軍関係のアメリカ人も多かった。

赤坂では、MUGEN、スーパーコップス、フランス乞食、HAREM、WHITE HOUSE。

六本木では、メビウスやクレイジー・ホース、二十歳過ぎ頃は、XANADU(キサナ)なんかに通ってました。

大抵は、ワンフード、ワンドリンク幾らで、ボトルキープも普通にやってましたが、中味はエチルアルコールだったような気がします。

テキトーな時代でしたからね、実際!

ファッションは、昔はスーツが多かったですね。

コンチネンタルファッションが流行ってて、ダブルスーツにバギーパンツ、或いはニュートラディショナルやアイビーファッションも多かった。

高校生の私が女子大学生を軟派してお持ち帰りなど、何度かありましたよ。